それは突然だった。
少し前になるが、当店にとって、最も重要な取引先のひとつ。東京を代表する染めの名店、神田の菱一さんが廃業する、というニュースが飛び込んできた。
菱一さんは当店に染め物はじめ、希少な産地の織物もご縁のある、卸元。
ある日 、お店にお邪魔した時、当店を担当する営業・織物担当氏より、廃業することと同時に一つの話をいただく。
「これ、もっててくれないかな・・?」
託された越後上布
これ、とは一つの反物だった。
「重要無形文化財 本場越後上布 着尺」
たて糸・緯糸ともに極細の苧麻。手括りの絣。雪さらし。透明感の美しい極上の夏織物。
現在は産地での生産数も激減。着尺は年間わずか30反程度。絣の凝ったものになれば、10反もない。
その美しさから、着物を極めた通こそ”惚れる”着物。希少すぎて値段がつけられない、究極の工芸織物。
それが、ただ、静かにそこにあった。
「会社閉めちゃうからさ、まず、井上さんにさ、見せておこうと思って。」
新潟で生まれた、人情あふれる担当氏。最期の縁と特別な値段をつけてもらい、断る理由はなかった。
糸の良かった時代
当店に特別な縁をもらった本場越後上布について、書きたいと思う。
まず、桐の箱を見たときに気が付くことがある。
箱が細い、のである。
越後上布をはじめ、着物の織物は糸で決まる。
細く糸をつくることが良しとされ、一般的には上質とされる。技術が必要でも、糸の細さは競われている傾向である。あまりに糸が細いと耐久性に難が出てくるとは思うが、そのバランスをとるのも職人技。
細い糸を使って織物をつくれば、透け感や滑らかさは表現できる、でも、糸の一本一本が細くなるため、どうしても織り進む長さを稼げなくなる。
時間がそれだけ必要になるし、糸作りにも、織りにも技術が必要になる。
だが、この越後上布は箱が細い。箱が細く感じるのは、あまりにも細い糸をつかって織ってあるからだろう。
先日、今年(2019)に織りあがった越後上布を見る機会があったが、箱が越後上布に比べるとやや太い。細い糸をつかって織っていないからだろう。
糸も、織も、腕の立つ職人の高齢化により、思ったような制作ができないとは聞いている。この越後上布は、まだ産地に元気があったころ、極細の糸が手に入る時期の作品だとは思うが、その糸の細さ・素晴らしさは一見の価値がある。
経糸の絣は経緯に比べると若干技術的には優しくなる。この越後上布は経糸のみの絣。
だが、逆にすっきりとした印象があり、また、価格的には優しい。
透け感について
糸が細いということは、薄い織物が織れるということ。
薄い織物は透け感があり、また、品格がある。
この越後上布を見て感じるのは、その美しい透け感。
極細の糸で織りあげてあるからこそ、表現できる世界。
よくよく見てみるとわかるが、経糸・緯糸の織りあがりには隙間がある。空気を一緒に織りあげたような風合いがある。
糸の白さともあいまって、この世のものとも思えないような雰囲気を醸し出している。
植物の繊維からつくった糸で、これほどの美しい布を織るのだから・・ただただ凄い。
越後上布とは何なのか
越後上布、とは一体なんなのだろうか。
植物の繊維から糸をとり、糸を績み、織りあげる。古代の技術を今に伝える雪深い産地の織物のひとつ。
あまりにも美しく、完成度が高いもの。
熟練した職人でも糸つくりから、織りあげるまでに大変な時間がかかり、結果として流通があまりにも少ない。そのため、人気の半面、最も入手の難しい希少品として、評価を受けている。
産地の紬織物を得意とする当店、当然何回かは仕入れのチャンスがあった。でも、お店ののコンセプトや、好み、価格、全てに合う条件の越後上布と出会ったことは本当になかった。
今回、越後の生まれの人情担当氏から紹介をもらえたことが奇跡的。
ほかならぬ思い入れがある、でも、店の商品として仕入れた以上、どこかでは手放さないといけない。なんとも葛藤がある・・思い出深い一反。
色々と話したいことはあります、是非店頭でご覧ください。なんだか、まとまらない文章ですが、それだけ思い入れがあるということで、お許しください。
(ちなみに、人情担当氏は京都の某老舗問屋さんに移籍。また、そこでもご縁はあると思い・・単純に嬉しいです。紬担当以外の菱一さんの染匠さんたちも、つながりがあります。これまた嬉しいですね。)
井上 英樹